僕らは都市を目指す。
何者かになりたくて、もっと多くを手に入れたくて。
僕もそうして大都市を目指し、東京で10年働き、暮らした。
そしてある日、ふと気づいた。
東京。なんでもあるけど、なんにもない場所。
ここで手に入れられないものはない。
すべてがパッケージ化されていて、なんだって消費可能だ。
ヒト、モノ、カネ、情報……あるいは、感情さえも。
だけど、暮らしを考えたとき、極端に歪な状況が見えてくる。
- 人間関係は高コストで、誰もが“もっと多く”を望む結果、互いの心が摩耗していく。
気づけば、誰かと関わることすら消耗戦になっていた。 - 極限まで開発された都市には、もはや自然という余白が存在しない。
山も川も海も広告の背景に溶け、リアルに体験するものではなく”いいね”の対象だ。 - 朝晩の通勤は、鮨詰めの車両で自宅との単調な往復。
移動は、自由を感じる時間ではなくなり、拘束の同義語になった。 - すべてがパッケージ化された都市では、選ぶことはあっても、感じることはない。
そこにあるのは選択肢ではなく、選択させられる日常だった。
だから僕は、都市という幻想から降りてみる。
自分のリズムで人生を再設計するために。
リブート。
都市を離れ、僕は暮らしを再起動する。
走って考える。止まって、生きなおす。
Throttle Daysは、その旅の軌跡だ。