ツーリングが趣味と言うと、バイクに乗る理由を聞かれることがある。
「どこか行きたい場所があるんですか?」
「走るのが好きなんですね」
うん、まあ、そうなんだけど──
実のところ、僕がバイクに乗る理由は、もう少し別のところにある。
以前、東京に住んでいた頃。
「まだ行ってない場所に行きたい」という衝動だけで、日本中を走り回っていた。
有名なスポット、絶景ロード、名のある峠。
日本中の名所はだいたい走り尽くした。
でも、走れば走るほど、景色には“既視感”が増していった。
山と海の構成は似ていて、観光地はどこかで見たような造形や演出に収束していく。
それが悪いわけじゃないけど、ふと気づいた。
「ここでしか見られない景色」って、実はすごく少ないということ。
逆に、予想外に僕の心の琴線に触れたのは、
小さな漁村の港だったり、段々畑のそばを走る農道だったり、
観光地じゃない“ただの風景”の中にある、人の営みの痕跡だった。
土地の形と、人の暮らしの関係性。
バイクで走ると、視覚じゃなく、それを身体全体で感じ取れる瞬間がある。
だから、地形に興味が湧いた。
なぜこの土地はこうなっていて、人はそこに住み着き、どんな文化を築いてきたのか。
バイクを走らせながら、僕は風景の中にある物語を読み取ろうとするようになった。
一方、都市部はどこも同じ顔をしていた。
都心の商業施設、郊外のSC、整備された国道、住宅街のグリッド。
旅を重ねるほど、「走るための生活」という視点で土地を見るようになった。
そして、たどり着いたのが福岡だった。
全国を走り抜けた果てに、僕はこの街を選んだ。
バイクと共に暮らし、バイクを日々の真ん中に据えるために。
いま、僕の目は“その先”を見つめている。
次は、世界だ。
言葉も文化も風景も違う場所で、
「なぜ走るのか」を問い直す旅に出たいと思っている。
なぜ僕はバイクで日本中を走ったのか。
それは、行き先を探すためではなく、意味を探すためだった。
いま、その旅は日本を越えようとしている。
知らない風景、届かない言葉、見たことのない暮らしの中で、
自分がどんな風に揺れるのかを、確かめたくなった。
走ることは、僕にとって祈りであり、問いだ。
風をまといながら、この世界とどう向き合うかを探していく。
Two-Wheel Pilgrim──ここから僕の巡礼が始まる。