西海と大島、海の縁でほどけた思考

西海と大島、海の縁でほどけた思考。CB1300 SUPER FOUR SP Final Edition 巨軀を駆り、西海を走った。

CB1300 SUPER FOUR SP Final Edition
巨軀を駆り、西海を走った。

東シナ海沿いの光は、最初の一瞬でこちらの輪郭をゆるめた。
海の揺らぎに合わせて走っていると、
外の景色よりも内側の静けさのほうが鮮明になってくる。

バイクは、ただ前へ進むだけの存在に見えて、
ときどき、思考の奥に踏み入る鍵みたいな働きをする。
アクセルをひねるたび、
”言葉にならない何か”が少しずつ剥がれ落ちていく感じがした。

大島大橋に差しかかると、風がひとつ、性質を変えた。
橋を渡る行為には、いつも「越境」の気配がある。

地図の上ではただの移動なのに、
心の中では、何かを更新していく儀式のように作用する。
渡りきる頃には、世界の密度がわずかに変わっていた。

島の奥へ入ると、海は気配だけを残して姿を隠した。
森の静けさに包まれるたび、自分の中の言葉も減っていく。

あの静けさは、地形の静けさじゃない。
“時間の沈殿物”に触れている感じだ。
語りすぎない土地に身を置くと、
こちらまで無駄な言葉を落としていく。

突端の展望台では、
海と空の境がゆっくりほどけ、
その余白に、自分の内側がふっと滲んだ。

帰り道、何も結論は出ていない。
でも、それでよかった。

旅とは、答えを拾いに行く行為じゃなくて、
凝り固まった日常の重力から、少しだけ自由を取り戻すための運動なのだと思う。

西海と大島は、
その自由をそっと思い出させてくれる場所だった。

このことばが、誰かの再起動のきっかけになりますように。
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